サムチー・ペーソンの戯言

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【主観で語るスポーツダイジェスト】不安感を払拭したベテラン力士 - 栃煌山 対 旭天鵬 平成24年5月場所千秋楽優勝決定戦 2012年5月20日

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この場所の星取表はこちら

 

今年1月に行われた初場所では、関脇の玉鷲が34歳2か月で初優勝。2004年3月場所でのデビュー以来1度も休場無し、年6場所制となった1958年以降での幕内初優勝として2番目の高齢記録、さらには優勝を決めた千秋楽と同じ日に第2子となる男児が誕生するなど、嵐の活動休止発表さえ被らなければスポーツ界でなにかと話題になった優勝であった。

ではその幕内初優勝の史上最高齢記録保持者と言えば、

そう、大相撲界のモンゴル力士のパイオニア旭天鵬だ。

彼は2012年5月の夏場所、12勝3敗で同じく並んだ栃煌山との、史上初の平幕同士での優勝決定戦を叩き込みで制し初優勝を手にした。しかしその優勝は、この場所の10日目あたりまでは夢のまた夢であったことをまず覚えていただきたい。

この記事はそんな意外すぎた、そして感動の結末に至るまでの一部始終を主観を交え記したものである。

それまでの経緯

旭天鵬が大相撲史上初のモンゴル出身力士のうち、最後の1人となったのは2007年11月のこと。その前の9月の秋場所で彼は横綱白鵬との優勝決定戦で惜しくも敗退し初優勝を逃したが、少し話題になった中でのニュースだった。

このころから旭天鵬は場所ごとの勝敗の浮き沈みが激しく、先ほどの2007年秋場所では12勝3敗だったのにも関わらず、翌11月の九州場所では4勝11敗。とかく調子にムラがあり、各場所の中日(8日目)が終わりNHKニュース7で勝敗表が出ると「この人は今回も2桁だな」*1と予想されるのが常であった。

 

一方旭天鵬の後からやってきたモンゴル力士たちは大相撲界を席巻。2004年頃から朝青龍が無敵の地位を欲しいままにしたかと思えば、2007年ごろから白鵬が台頭。2009年には朝青龍との横綱同士の激しいデッドヒートが繰り広げられた。2010年初場所朝青龍が引退した後は白鵬の1人舞台となり、八百長問題もものともせず数々の記録を更新。「大相撲と言えばこの2台巨頭である」という人も、筆者と同じ年代の人には多いと思われる。

他にも照ノ富士日馬富士鶴竜などなど、彼らモンゴル力士の目覚ましい活躍は数知れず。*2旭天鵬をはじめとした先人たちが切り開いた道をどんどんと突き進んでいった。

 

旭天鵬は2010年代に入っても激しいアップダウンをちょくちょく見せながら幕内は維持。2012年4月付で大島部屋の師匠大島が定年退職し、一時期は引退し部屋を継ぐのではないかとの見方もあったが本人は現役を続行。友綱部屋へ移籍した。

初場所で優勝した把瑠都横綱昇進が大阪場所で夢と消え、鶴竜大関昇進。1人の横綱に6人の大関*3という混沌とした状況に。そうした中、2012年の夏場所を迎えることとなる。

 

夏場所7日目まで

この場所は初日から波乱が巻き起こった。6大関が全員白星と順調な滑り出しを見せる中、横綱白鵬が小結の安美錦に敗れる。

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さらに関脇の豪栄道、平幕の妙義龍&豊響といった境川部屋トリオも下克上ラッシュが止まらず、2日目は大関6人中3人が黒星。

大関鶴竜もこのラッシュの餌食となった。

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そして5日目終了時点で全勝が大関琴奨菊のみとなり、その琴奨菊は7日目にそれまで3大関を撃破してきた妙義龍に敗退。中日を迎えずして全勝力士が消えた。

しかしさらに衝撃的だったのが、7日目時点でトップ(1敗)だった力士の中に、前場所の優勝力士や三役受賞者が含まれていないことである。結びの1番で白鵬豊響に負けた際の、実況の刈谷アナがかすかに見せたエキサイトからも察せるように、近年ではまれにみる乱戦に期待が高まっていった。

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中日から14日目まで

白鵬は中日、9日目と連敗し4敗に後退。座布団が連日舞いまくるというこの当時は予想だにしなかった展開の中、栃煌山稀勢の里が引っ張ってきた優勝争いは、なんと11日目に大関稀勢の里が後続と2つの白星の差をつけ単独トップに立つ。 

ただここで多くの相撲ファンは、稀勢の里の優勝に期待した反面、「優勝するビジョンが見えない」と不安に思っていた人もいたのではないだろうか。

それもそのはず、当時の稀勢の里「2桁は勝てるが優勝はできない」という場所を何度も繰り返しており、*4例え各メディアが「稀勢の里優勝か⁉」などと騒ぎ立てても、当時の大相撲を少しでも見ており、何度も裏切られた人ならばその疑念はぬぐえなかったであろう。Wikipediaには「誰もが優勝を確信した」などと書かれていたが、少なくとも当時の俺は「嘘つけ!!」と思っていた。

そして案の定稀勢の里は12日目、13日目で連敗し一気に後退。ここでトップとして稀勢の里に並んだのが、

12日目に稀勢の里を倒した栃煌山

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5日目までは2勝3敗と負け越し、優勝戦線から早々に脱落していた旭天鵬だった。

14日目はトップの3敗、次点の4敗力士が全員白星。旭天鵬栃煌山鶴竜に勝った直後に琴欧州を破り、栃煌山自力優勝の可能性を消したが……、

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千秋楽

なんとこの取り組みで琴欧州が負傷。千秋楽で取り組みが組まれていた栃煌山の不戦勝が決まる。*5

この時の雰囲気はもうバケモンひりついていた。ライブで嫌いな曲が来て観客が盛り下がるだとか、水曜日のダウンタウンのSPで博多大吉の指示を受けて女タレがしゃしゃり出た発言をしユッキーナがキレるだとか、プレミア12の準決勝で9回表に増井がイデホに逆転タイムリーを打たれるだとかそんなもんの比ではない。「不戦勝」の3文字が書かれた紙が土俵上にでかでかと掲げられ、栃煌山が手刀を切りながら圧倒的声量のブーイングがかまされる。怒り、やるせなさ、そしてこの場所のオチが不戦勝による優勝でいいのかという不安が渦巻いた国技館の雰囲気、そしてテレビに映るその光景は、当時中3だった俺にはとても強烈なものとして記憶に刻み込まれた。

しかし、その前の取り組みで旭天鵬大関豪栄道を撃破。これで優勝決定戦が開かれることが確定。*6

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そして、平幕力士2人同士の優勝決定戦、両者初優勝がかかった大一番。横綱大関が揃って下克上を食らい続け、平幕にまで優勝のチャンスが巡ってきたカオスな戦いを締めくくる結びの一番は、叩き込みで旭天鵬に軍配が上がり幕を閉じた。

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非常にこの優勝で特徴的だったのは、付け人や後輩のモンゴル出身力士たちをはじめとした、周囲の表情である。「旭天鵬は非常に面倒見がよい」ということを元々知っていたファンの想像以上に、各方面から祝いの言葉などが寄せられ、内部が大団円ムードになっていたのが印象深い。旭天鵬のこれまでの歩みや、面倒見の良さが垣間見えた瞬間だった。

 

その後、彼は40歳、2015年まで幕内として現役を貫き通し引退。1年半前の2017年7月に「友綱」を襲名し、部屋持ちの親方となった。親方としてのコーチングの技術が問われるようになった元旭天鵬。数年後の弟子たちがどのような成長を見せ、どんな活躍をしてくれるのか。今後が非常に楽しみだ。

 

旭天鵬自伝 気がつけばレジェンド

旭天鵬自伝 気がつけばレジェンド

 

 

*1:白星が2桁とは言ってないのがミソ。

*2:ちなみに先ほどの玉鷲はモンゴル出身だが、先代のモンゴル力士たちの助けは来日まで借りていないなど、従来のモンゴル力士のコミュニティからは外れたちょっと特殊な存在である。

*3:日馬富士把瑠都稀勢の里琴奨菊琴欧州鶴竜

*4:そうなんだよ……、2015年までは稀勢の里はこんなキャラだったんだよ……。

*5:ここで所感を述べると、悪いのは休場した琴欧州ではなく急遽14日目から3敗の平幕力士2人と大関とのカードを組みだした運営側のほうではないかと思うんですよね。琴欧州が批判される筋合いはなかったでしょう。

*6:なお、稀勢の里は千秋楽でも負け、優勝決定戦にすら参加できなかった